2011年2月27日 塩山宗満
創世記 18章16-33節
「全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。(18:25b)」これは、神にクレームをつけているのです。もっとわかりやすく言えば、「神様、あなたは間違っていませんか?」と言っているのです。ずいぶん大胆な問いです。それに対して、神はここで、「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。(18:26)」と言われました。罪人にだけ目を向けていたのを、そうではなく、正しい人に目をとめてその人たちを救うという立場へ変わられたのです。
私たちはソドムに住んでいる罪人のようなものです。神の前にさまざまな間違いを犯してしまい、そこからどうすれば抜け出していくことができるか散々考え苦闘しているところへイエス様が来てくださり、そのイエスさまを信じて従うことによってその私たちの罪をイエス様が負って下さるということに気がつきました。私たちはそのことが感謝でなりません。けれども、私たちはそれでおしまいではありません。私たちの周りにいる誰かがやはり犯してしまった間違いによって苦しんでいるなら、アブラハムのように、私たちも回りの人たちのことを覚えて主なる神にとりなしの祈りをするように勧められているのです。12年前にこの房総半島にみ言葉が広がっていくように願って、この教会が建てあげられました。私たちは、主イエスを救い主と信じるものになりましょう。み言葉が広がっていくためにこの教会のメンバーの一人となってこの働きに加わりましょう。そしてこの町のために、私たちの周りの人たちのために祈り続けましょう。