2011年3月27日 塩山宗満
テサロニケの信徒への手紙一 5章16-18節
「いつも喜んでいなさい」という言葉は、「ずっと、喜び続けなさい」と訳すことができます。神はなぜこのような命令をしておられるのでしょう。それは、神が皆さんお一人お一人に期待しておられ、皆さんを用いて、何かをしようとしておられるからなのです。
一方、私たちの現実はどうでしょう。大きな地震のあとまだ余震が続いています。原子力発電所の事故で、食べるものに不安が起きてきました。それ以前に、私たちの周りに、喜んではいられないような重苦しい状況がたくさんあります。どうやって生活していこうか、どう病気を乗り越えていったらよいか、どうやって、人との関係を作り上げていったらよいか、といったたくさんの問題を私たちは抱えているのです。でもそんな苦しみがあっても、あえて礼拝に来て、神の言葉を聞いて、賛美を歌って、みんなで祈るときに一緒に神を礼拝する喜びが湧き上がってきます。そしてそれは、苦しいけど我慢をしているのではありません。苦しいけど、その苦しさを超えた喜びが与えられているからなのです。
私たちは昨年度から、私たちの教会の信仰告白にある「礼拝、伝道、牧会、奉仕」をみんなで分けあって担っていこうと言う活動方針を決め、それに沿って教会の歩みを進めてきました。また、この与えられた聖句をこの1年間毎週礼拝の中で読んできました。そして、いつの間にかそのように生かされてきたのではないでしょうか。どうかこの言葉を身につけて下さい。そして、喜びながら、祈りながら、感謝しながらこれからの人生を歩んでいこうではありませんか。