2011年6月5日 塩山宗満
ルカによる福音書 13章1-9節
ぶどう園の持ち主は「もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。」と園丁に伝えます。でも、園丁は「御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。 そうすれば、来年は実がなるかもしれません。」と願います。
ぶどう園のいちじくの木とは、野生の木ではなく、手入れをされ、園丁の目の届くところに植えられている木のことです。今で言えば神を信じ、神によって招かれている私たちのことではないでしょうか。その私たちに実を結びなさい、と神は言って、待っておられるのです。
わたしたちが園丁であるイエス様を信じ、イエス様に従う羊となり、イエス様というぶどうの木につながる枝となっていれば、実を結ぶことができるのではないでしょうか。主なる神を愛し、互いに愛し合いなさいというイエス様の言葉に従うことによって、苦しみとか悲しみとかは乗り越えることが出来るのだ、と主イエスは語られます。
実を結ぶためにはキリストのからだである教会に加わって、礼拝に集まり、皆で一緒に賛美をし、祈りをし、み言葉を聞いて、イエス様につながっていることが大切なのです。そうすればイエス様が「今年もこのままにしておいてください」と父なる神に願って、私たちに肥料をやり、手入れをして下さいます。イエス様から頂く愛を持って交わりを造っていけば、社会での、学校での、家庭での生き方も神が整えてくださいます。そのような実がなるようにイエス様にお願いして神から与えられた命を大切に生きていきましょう。