2011年6月19日 塩山宗満
ルカによる福音書 13章22-30節
私たちはどのようにして神の恵みを知り、受け取ることができるでしょう。ある人たちは、それは経済的な成功、問題のない人生、健康を保証された人生、と言うかもしれません。けれども聖書は往々にして、悪人が栄えていることを語りますし、神が愛される人たちが非常に苦しんでいるのを読むことがあります。私たちが、神の恵みをいつも確かめることができ、神が私たちを選んで下さったと確信を持つことができるのは、イエス・キリストの出来事を繰り返し繰り返し聞くことによって与えられるのです。
聖書はいつも群れのことを語ります。初代の教会では、使徒言行録を読むと分かるように、救いに預かる、と言うことは主イエスを救い主と信じて、バプテスマを受け、教会に加わるという形を通してずっと今まで引き継がれてきました。
この教会で、私たちは文字通り東から、西から、また南から北から来て神の国の宴会の席に着いているではありませんか。そこでは、後の人が先になることがあり、先の人が後になることもあります。その場にいさせて戴くためには、礼拝においてみ言葉を聞き続けなければなりません。主イエスは私たちキリスト者と教会に救いを与え、愛を与え、恵みを与えて下さいます。そしてそれは同時に教会が、教会の外の人たちに対して、神がいかに恵み深いか、神の愛が豊かであるか思い出させる場所になっていることを求められるのです。先週の花の日の訪問はそれを現したのではないでしょうか。