2011年7月31日 塩山宗満
使徒言行録 15章1-21節
ファリサイ派からキリスト者になった人たちの主張は「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」という点でした。それに対して、まずペトロがはっきり、律法を守ることを異邦人キリスト者に押しつけてはいけない、ということを述べました。続いてバルナバとパウロが二人を通して神が行われた不思議な徴と業についてのべました。最後に、主の兄弟ヤコブもまた、聖書を引用しながら福音に律法は必要ではないことを明確に宣言します。そのように原則をはっきりさせた上で、無用な対立を避けるための現実的な妥協点を探し、「ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです。(15:20)」と締めくくりました。
ユダヤ人の食事の規定などは、福音に預かるためには律法を守ることは求められていない、という主張をしていた人たちにとっては、本来は必要性のない事柄だったのですが、ユダヤ人キリスト者の気持ちを理解することもキリスト者としての生き方の一つではないかと判断して、この提案を受け入れました。
教会ではいろいろな意見が出てくるでしょう。その中で、人々の意見をよく聞き、議論を重ねた上で、問題を聖書に基づいて解釈し、解決に導き、原則をそこにおいた上で、妥協できるところはお互い愛をもって譲り合い着地点を探し、そして、主にあって一つとなって、神の国のために働いていく、そういう手順がここで確立されていったのです。私たちも議論するときにはこのことを覚えておきましょう。