2011年8月21日 塩山宗満
使徒言行録 16章25-34節
地震の後、目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったのだと思いこみ、自殺しようとしたのですが、パウロとシラスはそれを見て、「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」と叫んでそれを思いとどまらせました。看守は明かりを持ってその牢に駆け込んでいき、「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」と尋ねました。パウロとシラスは「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」と述べて、福音をしっかりと伝えました。主イエスを信じる信仰こそ、人生をしっかりと立て直すための土台なのです。
福音が語られ、それを受け止める人が神によって備えられ、受け止めた人が信じてバプテスマを受ける、そしてその福音が家族にも広がっていく、これは信仰の基本パターンです。この教会でもたくさんのこどもたちが、親たちの祈りが聞かれバプテスマへと導かれていきました。バプテスマを受けたことはキリスト者としてのスタートを切ることができた、ということで、とても大きな喜びです。
一方で、何年経っても夫や妻やこどもたちが教会に来てくれない、イエス様の救いに預かってくれない、と嘆いている人たちもおられるでしょう。でも、「家族がみ言葉によって救われるように」というのはずっとずっと続く祈りであって、もう、あきらめた、ということのできない事柄なのです。ですから、祈り続けましょう。信仰は神が与えて下さるものですから、祈って、神の働きを待ちましょう。