2011年11月6日 塩山宗満
ルカによる福音書 17章20-37節
私たちは神の国、マタイによる福音書で言えば天の国、天国へは私たちが死んでから行くところだと思っています。でも、聖書はそう言ってはいません。神の国とは神が支配されるところですから、聖書は、神の国は一部はもうここに来ていると言っているので、神の国と自分の死とは直接には関係がないようです。
命あるものとして神に作られた私たちは死すべき体を持っています。私たちは神に造られた者なので、命には限りがあります。人間が創造者である神を忘れて、神のように振る舞ってしまうところに罪があると聖書は語っています。人はそのために死に対して非常な不安とおそれを持っています。でも、その不安やおそれを乗り越えさせるために神はこの世界に御子イエス・キリストを送ってくださいました。聖書は人間が自分の死に対して不安を持っていることをよく知っていて、死を乗り越えさせるためのみ言葉がたくさん書かれています。
信仰を持った私たちにとっても死は確かに存在しますが、もはや不安になる必要はなく、神が示される生き方で生きて行けば私たちは死を乗り越えることができると聖書は語ります。自らの死に直面するときには、全能の神に全てをゆだね、地上の生から神のもとにある命へ移される厳粛なときと理解して良いのです。
私たちはイエス様の地上での宣教の時と、もう一度この世に来られる時との間に生活しています。もう一度イエス様の支配が行われるときがくるという希望を持って、毎日を丁寧に喜びを持って生きて参りましょう。