2011年11月20日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 4章31-38節
ここで、種とは福音の種を蒔くと言うことでしょう。教会はイエス様が十字架、復活をされてから福音をしっかり受け止め、その種を蒔き続けてきました。そしてその種蒔きの働きはこの日本にも伝わってきて、とうとうこの茂原にもその働きが広がってきました。私たちの教会も12年前に働きを始めてから福音の種を蒔き続け、収穫、刈り入れの働きもしてきました。
私はこの教会を訪ねてこられた方のことは一度しか見えなかった人も含めて殆ど覚えています。そしてその方々に福音が届き、実が成っていったことも覚えています。ある人には希望が与えられました。ある人には信仰が与えられました。またある人には愛が与えられました。ある人には生きる力が与えられました。そのように実が成っていることを私は見続けてきました。「刈り入れること」の一つはその種が蒔かれ、実が成った人が主イエスを救い主と信じて、バプテスマを受け、この教会の教会員になることですが、それだけではなく、たとえ一度だけしか尋ねてこられなかった人であったとしても、その人の内にイエス様によって希望が与えられ、愛が与えられ、信仰が与えられ受け止められたら、それが「実」の一つなのではないでしょうか。
イエス様ははっきり言っておられます。「既に、刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。(36節)」そう、実は永遠の命に至るものなのです。ご一緒に、種を蒔きながら、また刈り入れをしながら、そしてそれを次の世代に引き継ぎながら、与えられた命を神の前に大事に生き続けていきましょう。