2011年12月4日 塩山宗満
マタイによる福音書 24章29-35節
「そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。(24:30)」
私たちはイエス様がもう一度来られるとき、この主の日をどのように受け止めたらよいのでしょうか。イエス様は「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。(マタイ18:20)」と言って、イエス様を信じるものが集まると、そこにイエス様がいてくださり、そこは神の国なのだ、といわれます。神様の支配があるところ、イエス様が共におられるところが神の国なのですから、ここ茂原バプテスト教会も、神の国の一部なのです。
現実の私たちが生きているこの世界は、神の国とはほど遠いように見えますが、神の国は確かにこの群れの中にもあるのです。けれども、それはまだ完全なものではありません。もっともっと確かな神の国が来てほしい、そこでは私たちは「御国がきますように」、「御国を来たらせたまえ」と祈るのです。イエス様、もう一度私たちの所へ来てください、と祈るのです。待ち望む、待降節、アドベントはそのような意味も持っているのです。
私たちに求められているのは、問題の多い、課題の多いこの世に生きていても、揺れ動くことなく、あきらめることなく、神を見上げつつ、今のこの時を希望を持って生きていくことなのです。アドベント、待降節は「御国を来たらせたまえ」と祈る時でもあります。ご一緒に祈りましょう。