2012年2月5日 塩山宗満
創世記 28章10-22節
「すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。(12節)」ヤコブは夢の中でこの出来事を見ました。目覚めている時は、兄の追っ手が来るのではないかと恐れ、不安になり、そして一人旅の孤独を味わっていました。それに対して夢の中でヤコブは始めて、天とこの地上が行き来できるものであることを知りました。この階段は天、神がおられるところ、神の国と、地、私たちのこの世界とをつなぐもので、天と地がはっきりつながっていることをこの話は示しているのです。この地上は決して辛いことだけがあるのではなく、神がつながりを持っておられるのですから期待して良いことがたくさんあるのです。
ヤコブは悔い改めて、新しい人となってハランへ向かう旅は続きます。ただ、ヤコブもこの出来事の後全く新しい人に変わって、何一つ間違いをしませんでした、というわけではありません。20-22節の誓いの言葉も、もし、神がして下さったら、という一種の条件付きで神に約束をしています。まだまだしたたかな部分も残っているのです。
孤独で、一人旅をしていたヤコブが、疲れ果てて石を枕にして寝ようとしている辛い時に、主なる神はヤコブに現れて下さいました。私たちも石を枕にして寝なければならないような、辛い出来事を経験してきたかもしれません。今もその只中にあるかもしれません。でも、主なる神はそのような時に、ご自分を現して下さり、神の元へ来るように招いておられるのです。今日も、明日も、これからもずっとその神に従って歩んでいこうではありませんか。