2012年2月19日 塩山宗満
創世記 32章23-32節
始め、ヤコブは、取っ組み合いを仕掛けてきた人が誰だか分かりませんでしたが、いずれにしても全力を尽くして戦いました。そして、最後の方になってこの相手が神の使いであることに気が付きました。そこで祝福を求め、それを得ることができたのです。
わたしたちも生きていく中で、いろんな問題が起きてきて、戦わなければならない時があります。何でこんなことに苦しまなければならないのかと恨みたくもなります。わたしたちも何者か分からない相手と、時には真剣に戦わなければならない時があるでしょう。ただ、何者か分からない相手のように見えるけれども、実はそれが神であることを知って、それでも戦い続けることをここは語っているのです。その戦いを乗り越えて、わたしたちは進んでいくのです。わたしたちが神と取っ組み合いをして、ついに今までの自分を捨てて、神を信じるものとされていく、そのこともここで現しているように見えます。ヤコブはこの取っ組み合いを通して、神からの祝福を求め、それを与えられました。わたしたちも神と戦って、祝福を求めることができます。
その戦いの結果何が与えられるかは一人一人違うでしょう。また、この聖書の箇所が何を伝えようとしているのか、理解することも一人一人違うのではないでしょうか。皆さんも自分にとってこのお話がどんな意味を持つのか考えてみて下さい。納得がいく結論が与えられたら、また分からないけれどもこう思う、ということでも結構ですから、そのことをわたしにも教えて下さい。ご一緒に聖書を読んでいきましょう。