2010年3月4日 塩山宗満
創世記 33章1-19節
20年ぶりに会ったエサウはどういう訳かヤコブに対してとても寛容で、ヤコブから見たら「兄上のお顔は、わたしには神のみ顔のように見えます(33:10)」と言うような、変わりようです。ここに来るまでに、ヤコブは一つの不思議な出会いがありました。ヤボクの渡しで取っ組み合いをした相手で、後でそれが神の使いであったと気が付きました。その相手はヤコブに「イスラエル」という新しい名前を授けるのです。その新しい名前をもらったヤコブは優しくなった兄を見て、神だと思うほどだったのです。
なぜ、エサウはこのようにヤコブを受け入れることができたのでしょう。さんざんなことをやられて、祝福まで奪い取られたエサウ、その彼は心からヤコブのことを赦しているのです。なぜだかは聖書には書いてないので分かりません。
兄エサウは死海の南の地方を根拠地として勢力を広げていったようなので、ヤコブはあえてエサウのいるところへは行かず、神が約束された土地へ居着くことになります。このようにして、神の約束は、アブラハム、イサク、と伝えられていって、ヤコブにも不思議な仕方で伝えられ、守られていったのです。ヤコブは約束の地に帰ってきて、礼拝を献げました。わたしたちも今日ここに神の不思議な招きによって一人一人が集められ、礼拝を献げています。神がヤコブに声を掛け導いていって下さったように、神は今もわたしたちに声を掛け、招いておられるのです。ご一緒に神の招きに答えて、この礼拝を喜びましょう。