2015年4月5日 塩山宗満
マタイによる福音書 28章1-15節 (新約 59ページ)
主に従う人たちにとっては空っぽだったお墓、残された布、そしてイエス様が女性たちや弟子たちにお会いになったことなどを通して、イエス様が復活されたことを確信し、そのことを語りつづけました。あの弱虫だった、弟子たちが主イエスに出会ったあとで、力強い使徒として変わっていったこと、そして教会が誕生したことがイエス様のよみがえりのなによりの証です。
私たちも時として絶望の淵に落とされることがあります。思いもしなかった悲しみが襲ってくることがあります。絶望の真っ只中にあったときに、死を打ち破ってよみがえられた主イエスを仰ぎ見ることによって、私たちには希望が与えられます。私たちが苦しむときに、もう既にイエス様が十字架上で苦しんでくださっていることを思い起こしてください。そのような苦しみのときにはイエス様が残して行かれたみ言葉に励まされ、喜びのメッセージを聖書から読み取るほかにはありません。傷や痛みは残るでしょうがそれにまさる喜びと希望に委ねて生涯を歩んでいきたいものです。
また、私たち主を信じているものには、いまも苦しんでいる人たち、悲しんでいる人たちのところへ出かけていって、その苦しみや悲しみをともに分かち合い、時が与えられればみ言葉を分かち合い、イエス様のよみがえりを憶え、喜びのメッセージを分かち合うように、共に歩む働きが託されているのではないでしょうか。イエス様がまた胃による福音書の最後で語りかけられたように、出かけていって福音を伝え、バプテスマを授け、イエス様の弟子になるように勧め続けましょう。