2015年5月10日 塩山宗満
ヨハネの手紙一 1章1-4節 (新約 441ページ)
初めからあったもの、イエス・キリストの福音、命の言葉をこの手紙の著者たちは「私たちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの」であって、それを伝えると言います。命の言葉はこのように私たちの五感にふれて体験して、その体験が伝わって行くものなのです。
私たちはいろいろ学ぶことがその学びだけで終わってしまったらなかなか身に付きません。学んだことを目や耳や手を使って身体で覚えさせていくのです。信仰も同じようなところがあります。神を信じると言うのは頭で考えて、魂で受け止めて、そうだ、そのとおりだと信じるのです。けれども、そこで終わりではなく、その先に毎週のように礼拝に来て聖書の御言葉に出会い、自分で時間を作って聖書を読み、それに教会学校や祈祷会などの集会でみんなと一緒に聖書を読み、証ししあいながら、み言葉に聞きつづけ、祈りつづけます。そして、イエス様が言われたように「いろいろな場所へ行って、人々をキリスト者になるように導き、バプテスマを授ける働きに参加していくのです。私たち、と常に複数で書かれています。これは、ヨハネが属していた教会の人々のことで、同時にこの御言葉は私たちにも語りかけられているのです。
さあ、私たちも命の言葉を戴き続けましょう。まことの交わり、愛を持った交わりを持ち続けましょう。それによって苦しみの中にあっても喜びが満ちあふれるように賛美し続けましょう。そして、それを自分たちだけで持っているのではなく、まだイエス様のことを知らない周りの人たちと分かち合いましょう。