2018年2月25日
松原宏樹(日本バプテスト連盟 奈良キリスト教会牧師)
マルコによる福音書 11章1-11節 (新約 83ページ)
人間には基本的欲求があります。その中で大切な欲求は、認められる必要とされるということです。自分が必要とされていると感じたとき、やる気と元気が湧いてきます。しかし、逆に自分が必要とされていなと感じたときの失望と落胆は耐え難いものです。
アウシュビッツの強制収容所の中で、食べ物がなく、明日もしかしたら自分が殺されてしまうのではないかと言う極限の精神状態のとき、人はどうなるのか?理性はなくなり、自分勝手な生き方をしてしまうのか?明治大学の諸富先生は、はっきりと二通りに分かれます、と言われます。一つの生き方は、人の手よりパンを奪い取っていきる生き方と、もう一つは自分が死にかけているにもかかわらず、他の人に自分のパンを差し出す生き方、この二通りに分かれるそうです。
人間は神の作品なのです。極限状態に置かれても、神様が造られた神の作品なのです。自分は神様の栄光を現していきたいと本心では願っているのです。そして、どんな状態でもどんな欠点があっても、罪深くても、それでも神様は私を必要としておられると本気で信じる時、人は最後まで成長するのです。
昨年から教会に来られているご夫妻がおられますが、その奥様があるときこのように言われました。「教会に来て、二つの言葉を覚えました。あなたは神の作品、どんな時も大丈夫」この二つが自分人生の支えだそうです。
「あなたは神の作品、あなたは必要とされているのです。」