2019年1月20日 塩山宗満
ガラテヤの信徒への手紙 2章1-14節 (新約 343ページ)
「それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。(2:7-8)」こうしてあらためてパウロたちには割礼を受けていない人たち、すなわち異邦人に対する福音宣教が任されていることを確認したのです。彼らは握手して分かれました。
このエルサレム使徒会議という出来事はキリスト教会が生まれてしばらくして、その成長を考える上でとても大事な会議だったのです。もしここで、やっぱり本部が言っていることが正しいので、割礼を受け入れるしかないか、となったら、キリスト教会はその時点で、ユダヤ教キリスト派になってしまってその後の成長はなかったでしょう。
教会にはいろいろな意見が出てくるでしょう。その中で、人々の意見をよく聞き、議論を重ねた上で、その問題を聖書に基づいて解釈し、解決に導き、原則をそこにおいた上で、妥協できるところはお互い愛をもって譲り合い着地点を探し、そして、主にあって一つとなって、神の国のために働いていく、そういう手順がここで確立されていったと言って良いでしょう。私たちも議論するときにはこのことを覚えておきましょう。
福音が神の恵みによって一方的に与えられていることをあらためて思い起こし、主に感謝しつつ来週の20周年記念・憩いの場献堂感謝礼拝を迎えようではありませんか。