2022年10月9日 塩山宗満
使徒言行録 17章22‐34節 (新約248ページ)
パウロのアレオパゴスでの説教はギリシア哲学の知識や言葉を尽くして、全力を込めて語ったのですが、「いずれまた聞かせてもらおう」と言って、多くの人達はそこからいなくなってしまいました。でも、そこにも神が働かれ、信じて従う人たちが何人もいたことが記されています。死者の復活と言うことを聞いて、あざ笑う人たちがいたことは、何も特別なことではなく、2000年のキリスト教の歴史の中でずっと起きてきたことでした。今も昔も、誰にとってもイエス様の十字架の出来事と、その後のよみがえりのことは理性では理解できないことで、そこに、聖霊の働き・助けがなければ分からないことなのです。
偶像がたくさん並んでいたという状況は今の日本にもあります。私たちの周りには日本の伝統的な宗教であるお寺や神社がたくさんあります。しかもそれが私たちの生活と結構近かったりして、自治会の会費を払ったらそれが神社のお祭りの寄付に回されていた、などと言うことも起こります。そのような中で私たちは何をどのように宣べ伝えていけばよいのでしょうか。茂原の町でも何百年もの伝統のあるお寺があり、それが地域の人たちとの太いつながりを持っています。その中で、私たち茂原バプテスト教会はどのような宣教をしていけばよいのでしょうか。ここまで、2000年前のパウロの伝道の旅を読んできました。使徒言行録を読んで感じるのは、語ることは主イエスの福音、主の十字架と復活のことです。その上で「私たちはどう働けばよいのか」を探し続けています。ご一緒にこの課題を見つけ出し、その示された道を歩んで参りましょう。