2025年7月27日 服部紘司
民数記 23章1-12節
「バラムはこの託宣を述べた。バラクはアラムから、モアブの王は東の山々からわたしを連れて来た。『来て、わたしのためにヤコブを呪え。来て、イスラエルをののしれ』(7節)」
先週の日曜日に、無事に牧師就任按手式を迎えることができました。皆様の御祈りとご準備に心から感謝申し上げます。多くの方々と共に、私たちの教会に与えられた神様の祝福をたたえることができましたことを感謝します。私自身も、これまで主が私の人生に注いでくださった祝福を振り返る機会となり、感謝の時でした。
クリスチャン生活の中で、祝福を実感する時もあれば、そうではない時、むしろ祝福とは逆のように感じられる時もあります。クリスチャンであることで、疎外感を覚えたり、故の無い批判や非難を受けたりすることもあります。しかしイエス様は、「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである(マタイ5:11)」と言われました。そして、かえって「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい(マタイ5:44)」と命じられました。これは私たちの力では到底できることではありません。だからこそ、この言葉に従う時、私たちはイエス様の十字架によってもたらされる祝福をより深く知るのです。
ローマの信徒への手紙12章14節
「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません」