2013年2月17日 塩山宗満
創世記 46章28-34節 (旧約 84ページ)
ゴシェンの地にヤコブとその家族を案内してきたヨセフは家族をファラオのもとへ連れてきます。自分たちが羊飼いであることを述べた後、牧草地がないので、ゴシェンに住ませてほしいと願います。ファラオはヨセフを通してその願いを聞き入れ、ヤコブの一家はゴシェンの地に住むことになります。一方ファラオの前に立ったヤコブはファラオを祝福します。130歳になる自分の生涯をヤコブは「わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません。(47:9)」と振り返ります。イスラエル、と呼ばれていたヤコブはこの後、死ぬまでゴシェンの地で暮らしました。
イスラエルに住むのと、エジプトに住むのでは何か違いがあるでしょうか。聖書を読んでいくと、イスラエルの人たちの生き方が記されているところでは、必ず神との関係のことが記されています。ヤコブも人生の大事なところで、何度も主なる神が現れて語りかけておられます。46章にも「わたしはあなたをそこで大いなる国民にする。わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。(46:3-4)」という神からの言葉があります。創世記に記されている最後の神の言葉だと言われています。
けれどもエジプトに於ける記事では、神の言葉が語られていません。ヨセフに対しても、神が現れて、ヨセフに語りかけた、という記事はありません。そこが大きな違いかもしれません。私たちもイスラエルの側、神の言葉が必ず語られる側にいたいと願います。そのことをいつも心に覚えながら、毎日を過ごして参りましょう。