2013年2月24日 塩山宗満
創世記 48章1-11節 (旧約 87ページ)
アブラハムの一族は信仰を受け継いできました。でも、これはアブラハム、イサク、ヤコブが立派な人で、上手く子どもたちに信仰を受け継がせていったからではなく、神が約束を守って下さったからなのです。信仰をしっかりと次の世代に伝えていくというのは自分の力ではできず、神に願って、神の力によって伝えていくしかないのです。
信仰の継承には二つの道があるのではないでしょうか。一つは自分の家族に主イエスの愛と赦しが伝わっていくことです。テモテへの手紙に次のような言葉があります。「そして、あなたが抱いている純真な信仰を思い起こしています。その信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、わたしは確信しています。(テモテ二1:5)」信仰を伝えていくということは私たちが一生祈り続けるべき課題でしょう。希望を持って家族の一人一人のために祈り続けましょう。
信仰の継承のもう一つの道は、この教会に次の世代に人たちが起こされていくことです。これも私たちが努力をしたからといって、かなうものではないのです。私たちはこの教会が地域の人たちになくてはならないものになっていくように願って、福音を伝え続けています。でも、ここ数年のわたしたちの教会の歩みを見ていくと、私たちの努力と言うより、神が不思議な導きによっていろいろな人たちをここに招いて下さって、それによって教会が信仰を伝えていっているように思えます。これからも神がこの教会を用いて下さるよう祈り続けましょう。