2013年3月3日 塩山宗満
創世記 49章1-28節 (旧約 89ページ)
今日の聖書には「ヤコブの祝福」と小見出しが付けられています。「これらはすべて、イスラエルの部族で、その数は十二である。これは彼らの父が語り、祝福した言葉である。父は彼らを、おのおのにふさわしい祝福をもって祝福したのである。(49:28)」ここからもこの言葉が祝福であり、12人の息子からイスラエル12部族が生まれてくることを示しています。
ここを読んでいくと、ユダとヨセフには祝福を祈り、あとの子どもたちには厳しい言葉が残されています。ヤコブが子どもたち一人一人の歩みを振り返って、それに対する言葉を残しているのです。良い生き方をしたものは良い結果が生まれてくる、という生き方の基本をヤコブは教えています。
18節に突然「主よ、わたしはあなたの救いを待ち望む。」という言葉が出てきます。ヤコブが祝福と言っている言葉の中には厳しい叱責や裁きの言葉も含まれているのに気がつきます。人生の最後にこのような言葉を残さなければならなくなったヤコブは、神からの救いが皆に行き渡るように、祈らずにはおられなかったのです。
この救いはヤコブだけではなく、旧約聖書に出てくる多くの預言者たち、信仰者たちが待ち望んでいました。それに対して神は、人々をしばらく待たせ、ついにイエス・キリストを送って、待ち望んでいる人たちに答えて下さったのです。ヤコブが息子たちの歩みを顧みて、待ち望んだ願いが、私たちにはすでに与えられているのです。私たちはこのイエス・キリストを信じることによって神の恵みを戴くことが出来るようになりました。イエス様を信じて歩んで参りましょう。