2013年3月10日 塩山宗満
創世記 49章29-50章14節 (旧約 91ページ)
ヤコブは自分の死が迫っているときに二つのことを願いました。一つは「ヤコブが神から受けた約束が、その子孫にきちんと伝わるように」ということでした。その言葉は、「間もなく、わたしは死ぬ。だが、神がお前たちと共にいてくださり、きっとお前たちを先祖の国に導き帰らせてくださる。(48:21)」というものでした。
もう一つは、自分が死んだらエジプトではなく、カナンの地へ埋葬してほしい、ということでした。なぜそんなに葬られる場所にこだわったのでしょう。それは、自分がヘブライ人であること、神の約束の下に生きてきたことをしっかり示しておきたかったからなのです。ヤコブは死に臨んでも希望を持っていました。生まれたときから神と人と争って生きてきたヤコブが「神からの約束」をのぞみ続け、それをしっかりと信じ続けていたからなのです。
わたしたちキリスト者にとっては、死は絶望の時でも、忌まわしいものでもありません。それは死が、神のもとへ迎えられ、永遠の命にあずかる希望の出来事だからなのです。そこで、お墓も永眠の場所ではなく、キリストがもう一度おいでになって起こる復活の時まで一時的に休むところなのです。もう一つのお墓の持つ意味はこの日本の社会で聖書に基づく信仰を持ち続け、生きてきたキリスト者がその信仰を明らかにして、証ししていく場でもあります。わたしたちの群れも教会として墓や納骨堂を持ちたいと願っていますが、それもわたしたちが信仰者として歩んできたことを証しする場を持ちたいと思ったからなのです。来年度には計画がまとまるように祈っていきましょう。