2013年4月28日 塩山宗満
ルカによる福音書 15章25-32節 (新約 139ページ)
このお話は、イエス様の次の言葉で終わっています。「だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか(15:32)」。父親は、「だからおまえも祝宴に加わって楽しんでくれないか」と兄息子に頼んでいるのです。兄はここでどうしたでしょう。でもこのお話はここで終わっています。イエス様はここでファリサイ派や律法学者たちにこのメッセージのように神の愛を理解して、それに応えた行き方をしていってほしいと願ったのです。彼らからの答えはどうだったでしょうか。イエス様に好意を寄せた人たちは何人かいました。けれども、ユダヤの指導者たちは最終的にはイエス様を捕まえ、十字架にかけ殺してしまったのです。
このお話は一見正しく歩いているような兄と明らかに間違った道を歩いている弟という二つの生き方のどちらも神の前には間違っている、と語ります。そして父なる神はどちらにも愛を示し、一緒に祝うように招いておられるのです。「福音」はすべての人が神の前には間違った生き方をしてしているけれども、そのすべての人が神に愛されているのだ、と言うメッセージを送っているのです。福音のもとですべての人がそのことに気がつき、生き方を変えて神の方を向いていくように勧められているのです。
その招きのことをイエス様は宴会、と言っておられます。宴会はみんなで楽しむものです。だからこの教会でイエス様の宴を祝いましょう。日曜日の礼拝をどうぞ楽しみにしてください。ご一緒に祝おうではありませんか。