2013年4月21日 塩山宗満
ルカによる福音書 15章11-24節 (新約 139ページ)
このお話は「放蕩息子の話」と呼ばれ、私も今日の宣教題にそのように書きましたが、本当は「愛にあふれた父親の話」、と言うのが正しいでしょう。首を長くして息子の帰りを待っていた父は、息子がまだ遠く離れていたときに、息子を見つけて憐れに思い、出迎えました。非難めいたことを一言も言わずに息子を赦して、それどころか最大限の歓迎をしていて、イエス様はこれが父なる神の愛なのだ、と話しておられるのです。
私たちはこの弟息子のように、神から多くのものを戴いていながら、神に感謝することを忘れてあたかも自分の力でそれらを得たようにおもい、自分の思い通りに生きていって何が悪い、と開き直っているのではないでしょうか。神は首を長くしてそのような私たちが帰ってくるのを待っておられるのです。弟息子がしたことは大失敗でした。でも彼は、「我に返って」という言葉にあるように、自分のあるべき姿に気がついたのです。ただ、我に返るだけでは救いに預かることはできません。恥を忍んで、おずおずと帰ってくる息子を首を長くして待っている父親、これは神のことなのですが、その神の予想もしていなかったような愛によって私たちは生きていくことができるのです。私たちに求められているのは、帰ってくること、そして、神が用意してくださる宴会に身をゆだねることだけなのです。皆さん、このイエス様が催してくださる宴会にご一緒に加わろうではありませんか。イエス・キリストを救い主と信じて、この人生を教会のなかまと一緒に、また世界中のキリスト者と一緒に歩いていきませんか。