2013年11月3日 塩山宗満
コリントの信徒への手紙二 4章16節-5章1節 (新約 329ページ)
わたしたちの教会も歩みを始めてから、15年経ちました。そしてここ1-2年の間に次のステップとしてお墓か納骨堂、みんなが一緒に集まれる多目的ホール、それにバプテストリもほしいなあ、という思いが皆さんの心の内に生まれてきました。そしてお墓とか、納骨堂はわたしたちにどういう意味があるのだろうという学びをしながら、この教会に関わって来られた方たちで、すでに天に召されていった信仰の先輩たちのことを憶えたい、という願いも起きてきました。今年になって、植竹恒雄兄を主のもとに送り、また、渡辺幸子姉が6月に召天されたことも思い起こされます。そこで、今日、11月最初の主の日を召天者記念礼拝として守ることにしました。
すでに召された方々がいまどのような形で神の国におられるのでしょう。聖書を読んでいくかぎり、神が備えてくださった建物、住処が用意されていて、そこにおられ、神が支配されるところにおられることが分かります。ヘブライ12章の言葉もわたしの心から離れません。「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、(ヘブライ12:1)」この信仰の先輩方のあとを、わたしたちはこうして引き継いで、この教会の歩みを進めています。私たちも先輩たちが願われたことを思いながら、神が示されるときが来るまで、ご一緒に神の国のために働いて行こうではありませんか。