2014年6月15日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 13章1-11節 (新約 194ページ)
「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。」
足を洗うことは、主イエスとの交わりを持つ、たがいに仕えあう、という意味があるでしょう。泥だらけの道を歩いていくと足が汚れてしまうので、家に着いた時にはその足を洗わなければなりません。そのように、たとえ体を洗った者(バプテスマを受けた者)であっても、毎日生活をしていく中で足を汚してしまうように罪を犯してしまう、それをイエス様が洗ってくださったように、わたしたちも主の晩餐式で悔い改め、イエス様の血と肉とにあずかって自分の罪を思い起こし、赦していただけるよう祈る、そのような機会をイエス様が整えてくださっているのです。
今日の聖書が語ることを整理してみると、@イエス様が私たちを愛し抜かれたこと、Aそれをイエス様は徹底的に仕えることによって表わされました。B私たちはそのイエス様がされたように、お互いに仕えあうことがイエス様からの戒めとして与えられていること。Cまた、教会はバプテスマと主の晩餐式を行うことによって、犯してしまう罪を吟味し、悔い改め、そして赦しを戴きながら生きていくように勧められている ということではないでしょうか。
今日は午後フルート・コンサートを開きます。お二人の演奏者が素晴らしい音楽を聞かせてくださいますから、私たちもそれぞれ神からいただいている賜物を用いて、このコンサートにおいでになる皆さんをおもてなししようではありませんか。わたしたちはその場がイエス様の愛に満ちた場になるようにお出でになる方たちに仕え、そのことによって主に仕えていきたいと願います。