2014年7月6日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 14章1-14節 (新約 196ページ)
「わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」このイエス様の約束はなんと素晴らしものでしょう。イエス様のみ名によって祈られた祈りはイエス様がかなえてくださるということです。私たちが祈ることは主のみ名によって祈ればかなえていただけるのです。わたしたちは何を祈ってもよいのですが、わたしたちには聞かれない祈りもあるようです。
一つは私たちの願い、祈りは神のご意志ではない、ということでしょう。私たちの祈りを、神は吟味してくださるのです。そして時には願ったことと違う形で祈りが聞かれることもあります。また、祈りが聞かれるのにずいぶん時間がかかることもあるでしょう。聖書には祈りが聞かれたことがたくさん記されていますが、聞かれなかった祈りもあるのです。パウロは世界宣教の働きを妨げる、うっとうしい体のとげが取り除かれるように三度も祈ったのですが、彼は一生の間、その苦しみを負いながら、その苦しみの中からベストを尽くして生きていくように導かれていったのです。主イエスでさえ、ゲッセマネの園で苦い盃が取り去られるよう祈りましたが、その苦い盃を飲みつくさなければなりませんでした。
本当にふさわしい祈りは主の祈りでしょう。まず神の国のことを祈り、私たちの生活の過去、現在、未来のすべてにわたって神の導きと守りがありますように、と祈っているのです。私たちはまず、主の祈りを心から祈りましょう。そして、それに加えて何を祈ってもよいのです。その後のことは神にお任せしましょう。主イエス・キリストのみ名によって祈るのですから、安心です。