2014年9月28日 塩山宗満
創世記 49章29-33節 (旧約 91ページ)
ヤコブは自分の死が迫ってきたときに二つのことを願いました。一つは「ヤコブが神から受けた約束が、その子孫にきちんと伝わるように」ということでした。自分の12人の息子たちに神が語ってくださった約束をきちんと伝えておきたかったのです。
ヤコブが死の前に願ったもう一つのことは、「自分が死んだらエジプトではなく、カナンの地へ埋葬してほしい」ということでした。彼は自分がヘブライ人であること、神の約束の下に生きてきたことをしっかり示しておきたかったのです。
わたしたちキリスト者にとっては、死は絶望の時でも、忌まわしいものでもありません。ヤコブも悠々と死んでいきました。それは死が、神のもとへ迎えられ、永遠の命に預かる希望の出来事だからなのです。そして私たちはお墓に葬られるのですが、そのお墓の持つ意味は次のようなものです。墓地はキリスト者にとって希望もなく永眠する場所ではなく、朽ちない体に復活する時まで、死者を記念して、待ち望み、「復活の希望」の信仰を証しする場所なのです。
またお墓はこの日本の社会で聖書に基づく、イエス・キリストを主と信じる信仰を持ち続け、生きてきたキリスト者がその信仰を明らかにして、そのことを周りの人たちに証ししていく場でもあります。わたしたちの群れも教会として納骨堂か納骨室を持ちたいと願っていますが、それもわたしたちが信仰者として歩んできたことを証しする場がここにほしい、というところから来ています。近いうちに計画がまとまるように「憩いの場プロジェクト」委員会ががんばっていますので、期待して待っていましょう。