2014年11月23日 塩山宗満
マタイによる福音書 12章1-8節 (新約 21ページ)
「さあ、日曜日」とは私が毎週ある人に送っているメールのタイトルです。私たちは安息日をどのように過ごしたらよいのでしょうか。ユダヤ教の安息日、金曜日の日没から土曜日の日没までと違って、今の私たちの安息日は主イエスのよみがえりを記念して日曜日です。一方この日本では、さまざまな行事がこの日曜日に行われるために、礼拝に来ることが難しい時さえあります。
この主の日、安息の日は何のため日でしょう。それは礼拝の日です。神に出会い、神の言葉を聞き、また神の兄弟姉妹たちと会って、ともに賛美を歌い、祈りをする日なのです。この日を大事にしましょう。この日はみんなで教会学校に出て、礼拝に出て、そしてまた次の一週間の備えをします。私たちの毎日は、このみ言葉を読み、聞き、賛美を歌い、祈ることから始まるのです。そして、いろいろな事情でここに来ることが出来ない人たちのことを、礼拝に出てくることができない仲間のことを覚えて祈ってください。
今日の聖書の個所と平行したマルコによる福音書2:27ではイエス様はこう言っておられます。「安息日は人のために定められた」ですから、この日は人が人として生きるために必要なことを神から戴く日なのです。形だけを守る、というのではありません。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』と言われたイエス様のことばに従って、私たちの心を神に向け、イエス様に向け、祈り、賛美をし、み言葉に聞き入って毎日を歩んでいきましょう。そして、「さあ、日曜日」と心を弾ませて礼拝に集まりましょう。