2015年3月1日 塩山宗満
出エジプト記 32章1-14節 (旧約 147ページ)
イスラエルの民は、モーセがなかなか帰ってこないので、アロンにたのんで金の子牛を作らせます。そのことをモーセに伝えた主なる神は、悲しみと怒りでいっぱいです。一度は「従います」と約束し、導きを受けてエジプトから脱出したその民が、主なる神に背いて偶像を拝むというのは、神にとって耐え難いことだったのです。
モーセがとりなします。あなたが、ご自分が選んだ民の苦しみを見て、そこから救い出そうと決められた、その民ではありませんか、ご自分が決めたことを翻してしまおうというのですか、と問い返しています。そして、「どうか、燃える怒りをやめ、御自分の民にくだす災いを思い直してください。(32:12b)」と熱心に説得をします。それに対してこの出エジプト記の著者は手短に「主は御自身の民にくだす、と告げられた災いを思い直された。(32:14)」とだけ記しています。主は思い直されたのです。主なる神は、人間とのかかわりを大事にされるので、たとえ民が過ちを犯しても、一度決めたことや、計画されたことを変更されるのです。
主なる神は、わたしたちの願いや祈りを聞いてくださり、思い直してくださるのです。ですから、わたしたちは祈り、願い続けます。もちろん私たちの願いが御心にかなわない場合はその祈りは聞かれないかもしれません。いや、わたしたちの祈りは御心に沿った形で聴かれていくのです。今年度の標語「ともに祈りあいましょう」を思い起こしてください。50人礼拝や憩いの場プロジェクトのことを、また兄弟姉妹たちのことを祈り続けようではありませんか。