2015年3月8日 塩山宗満
出エジプト記 33章12-17節 (旧約 149ページ)
モーセを信頼し、親密な関係を持たれた神は、改めて指導者として歩みなさいと申し渡されました。それに対して、モーセは「使いを先立って送る」と言われた約束がまだ果たされていません、と神に訴えました。たとえイスラエルの民が神に背いたとしても、この民は神が選ばれた民であることには変わりがないはずだ、と考えたのです。
それに対して、神は「わたしが自ら同行し、あなたに安息を与えよう(33:14)」と言われました。少し前の、「しかし、わたしはあなたの間にあって上ることはしない。(33:3)」と言う言葉にモーセも民も不安になり、嘆き悲しんだのですが、このわたしが自ら同行し、ということばに大いに安心しました。主なる神はここでも思い直され、共に歩んでいくよと言ってくださったのです。
わたしたちの教会には信仰歴が長い人も、比較的新しい人も一緒に集まっていて、主イエスを頭に、教会を作り上げています。そのわたしたちに大事なことは、わたしたちがどんなときにも「いつもあなた方と共にいる」と言ってくださる神の導きに従っているかどうか、という一点でしょう。モーセの時代のイスラエルの民のようにわたしたちは身を慎んで、神の導きに従って歩くことが求められています。神と共に歩く中で神は忍耐強くわたしたちの問いや、疑問や、反発にも答えてくださり、受け止めてくださり、わたしたちが間違いを起こした時にはそれを指摘し、正してくださるのです。さあ出かけていって、人々を主の弟子にし、バプテスマを授け、神の福音を教え(マタイ28:19-20)、御心に従って生きるように勧めようではありませんか。