2015年4月26日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 21章15-19節
イエス様は三度ペトロにたいして「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」と尋ねられます。ペトロは「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」と精一杯答えるのですが、三度も同じことを聞かれてびっくりするどころか、悲しくなってしまいました。この時もイエス様は「わたしの羊を飼いなさい。」と言われました。なぜ三度も同じことをくり返されたのでしょう。
ペトロはガリラヤ湖の岸で漁師として働いていたときにイエス様に声をかけられ、すぐ従う決心をしました。それからは弟子の代表のようなかたちで、イエス様が行かれるところへはどこへでも一緒に出かけていました。そのペトロにイエス様は「わたしを愛するか」と三度もお聞きになったのです。なぜでしょう。
一つはペトロの苦しみから解放してやろう、とイエス様が思われたからではないでしょうか。あのペトロが、あろう事か主を三度も知らないと言ってしまいました。そのことはペトロの心の中に深い傷を作っていたでしょう。それをいやしてやろうと思われたのです。
ペトロは弱い、揺れ動きやすい人間でしたが、いろいろな揺れる経験を通して、信仰を学び、そして、岩となっていったのです。
私たちも同じように弱いものなのですが、天の父、御子イエス、そして聖霊の導きによって主イエスがメシアであることを言い表わしてきました。来週は陳弼蘭(チンピルラン)さんが転入会のための信仰告白をしてくださいます。教会とは、このような、主イエスをメシア、キリストであると告白した人たちの集まりなのです。