2015年6月21日 塩山宗満
ヨハネの手紙一 3章11-18節 (新約 444ページ)
「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。(3:16)」
わたしたちの教会はイエス様が命を捨ててくださり、それによって愛を知らされた群れです。私たちが毎日の生活を神のみ心に従って歩んでいくために私たちは神のみ言葉に聞きながら歩まなければなりません。教会で行われる礼拝はそのための大事な場です。礼拝で、聖書を読み、賛美歌を歌い、祈りをし、兄弟姉妹と交わりのときを持つ、これは教会の第一の働きです。ここで、神の言葉が聞かれるように整えて、祈って、礼拝を待ち望みます。
友のことを祈る場でもあります。祈るためにはこの友が何に苦しんでいるか、何が課題かが分からないと具体的な祈りが出来ません。ですから交わりも大事です。自分も苦しみに遭ってそこから救い出された人たちがここには集められています。病気を持っていたり、さまざまな痛みを経験したり、経済的な不安を持っていたところを、イエス様が助け出してくださいました。そのような私たちですから、今も苦しみを持っているほかの人たちと共に生きる、そういう教会になっていきたいと願っています。
ほかにも私たちが兄弟姉妹たちのためにできることはいろいろあるでしょう。それを丁寧に探しながら、行っていきましょう。私たちは、これまでも、いまも、これからも、主イエスがこの地上でされた生き方に倣って、そのように生きるように招かれています。そのように生きていこうではありませんか。