2015年6月28日 塩山宗満
ヨハネの手紙一 3章19-24節 (新約 444ページ)
「心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。(3:20)」わたしたちの心がわたしたちを責める、と言うことがあるでしょうか。そう、あります。わたしたちは主の導きにより、イエス様を救い主と信じ、バプテスマを受け、キリスト者として生きることを始めました。そして、主イエスの導きに従って生き方をしていこうと毎日の生活を送っています。信じて、喜んで、教会に集って礼拝を献げます。
けれども、時にわたしたちの心は揺れ動き、平安ではなくなり、自分の心が自分自身を責めることもあります。わたしはいつも神の前に正しく生きているだろうか、わたしは神の子と名乗ることが許されるだろうか、と疑問に思うこともあります。真剣に生きようとする人ほど、自分に足りないところがたくさんある、と思わされるのです。このような思いに駆られるのは、主イエスへの信頼が揺らぐからではないでしょう。わたしたちの毎日の生活の中で、主の御言葉に従って生きることができない、という自分の不十分さに気がつく時なのではないでしょうか。
そこを、ヨハネは心配しないでも良いのだ、と言います。「神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。」といって、安心して過ごしなさい、と語ります。わたしたちが不徹底・不十分であっても、神に目を向けなさい、神はそのようなわたしたちのことをよくご存じで、わたしたちを赦し、恵みをお与えくださるのだ、と述べます。この神に感謝し、信頼して、お任せして、歩んでいこうではありませんか。