2015年8月23日 塩山宗満
ヨハネの手紙二 1-13節 (新約 447ページ)
「だれであろうと、キリストの教えを越えて、これにとどまらない者は、神に結ばれていません。その教えにとどまっている人にこそ、御父も御子もおられます。(1:9)」
ヨハネが語った反キリストは今の21世紀の日本にも存在します。キリスト教的な、似た教えが広がっています。それに対してわたしたちはNOと言わなければならないのですが、ただ単に正統派キリスト教ではないから異端だというのもフェアではないでしょう。では、その区別をどこで行っていったら良いでしょうか。
それは、イエス・キリストだけで救いは十分だ、というか十分ではない、と言うかに掛かっているのです。たとえば聖書だけでは十分ではないので、ある人が藪の中から見つけ出してきた本を翻訳して、新しい神の啓示を受けた、と言っている人たちがいます。時々訪ねてくるグループでは聖書のほかに、これも教祖と呼ばれる人が世の終わりについて新しい啓示を受けたと言って、イエス・キリストだけでは十分ではない、と主張しているのです。イエス・キリストのことを知ろうと思ったら聖書のほかには学ぶ元はないのですが、聖書に何かを加えて真理だと主張する群れが多いのです。
この手紙は、ヨハネがいた小アジア地方の教会の人たちに、反キリストがたくさん現れるのでその人たちに惑わされず、「互いに愛し合う」というイエス様がくださった掟に従って生きて生きなさい、と繰り返し勧めています。わたしたちもこの「互いに愛し合いなさい」というイエス様の掟に従って与えられた日々を歩んでいきたいと願います。ご一緒にイエス様を見上げて歩いて行きましょう。