2015年11月8日 塩山宗満
エレミヤ書 28章1-17節 (旧約 1228ページ)
ハナンヤが次のようにと民に告げます。「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしはバビロンの王の軛を打ち砕く。(28:2)」これを聞いたエルサレムの人たちは大喜びでした。つらい、バビロンの圧政に苦しんでいた人たちに希望の光を与えました。それに対して、エレミヤも国が回復して、元気になって、また輝かしい時代とエルサレム神殿でおごそかな礼拝が献げられたらどんなに良いか、と心から思ったのではないでしょうか。
でも、エレミヤは自分の思いではなく、神の御心、神の言葉を伝えなければなりません。そこでエレミヤはもう一度語り始めます。「そもそもこれまでの預言者は国や民に対して、戦争、災害、疫病などを預言してきました。神の裁きを預言しているのです。そして歴史を見ると、その裁きの預言が正しかったことを証明しています。一方、平和を預言する者はしばらく経って結果を見ないとその預言が正しいかどうかは分かりません」と言っています。
預言者と偽預言者、わたしたちはどのようにして見分けたら良いのでしょう。今の時代は預言者とは神の言葉を聞いて、それを行い、それを伝える人のことです。するとわたしたち宣教をする者、いや、御言葉を聞いてそれに生きようとするキリスト者すべてが預言者なのではないでしょうか。イエス様はマタイ7:15で「偽預言者を警戒しなさい。」と言っておられます。わたしたちが偽預言者にならないためには、わたしたちは心して御言葉に向き合い、毎日を神のみ旨に沿って真剣に生きていくことが求められるのです。預言者の一人として、ご一緒に主の道に歩んでいこうではありませんか。