2016年6月5日 塩山宗満
マルコによる福音書 4章26-32節 (新約 68ページ)
最初のたとえは「神の国は人が種を蒔くようなものである」と述べています。種を蒔く人は、その種を大地に蒔いて、ゆだねたら、その種のことは心配せず、どうなるかと見守ったりもしません。土が、その種の持っている力を目覚めさせて、どんどん成長させていきます。
もう一つのたとえが語っているのは、何事も始まりは小さなものだけれども、誰かが始めなければ大きなできごとは起こりえないということです。イエス様が始められた働きと生まれた教会は、小さく、弱々しいものでした。けれどもその最も小さく見えていたものが、最も大きなものに成長し、全世界に広がりを持つ教会になりました。
日本にキリスト教の種が蒔かれて、だいぶ時が経っていますが、未だに小さな草でしかないように見えます。キリスト教界のいろいろな所からクリスチャンの数が減っている、とか信徒の高齢化が進んでいて将来が明るくない、という悲観的な声が聞こえてきます。でも、イエス様は今日の聖句のように、蒔かれた種はひとりでに成長し、時と場合を選んで実を結ぶ、といわれているし、たとえ小さく見えても時が来れば大きな木になるとも言っておられます。ですから日本の教会も種を蒔き続け、祈って待ち続ければよいのではないでしょうか。
わたしたち茂原バプテスト教会も小さな群れだし、弱々しく見えます。けれども心配はいりません。わたしたちが種を蒔き続け、畑の雑草を抜きながら、実りを待てば神が、その御言葉が持つ力を引き出してくださり、実りをもたらしてくださるでしょう。その神の国のための働きにご一緒に加わって参りましょう。