2016年6月12日 塩山宗満
マルコによる福音書 4章35-41節 (新約 68ページ)
この「嵐を静める」というイエス様のされたことをどう理解したらよいのでしょう。神がわたしたちに語りかけられるときに、このようなふしぎな形を通して語っておられるか、そうでない形で語りかけられるか、それはどちらでもよいことなのです。神が語られること、しかも愛をもって語りかけてこられることが大事だ、とこの聖書は語ります。この聖書の物語の著者が語っていることは証明できることではなく、ただ証しすることしかできないのです。このできごとによって神が人間に語りかけ、信仰をお求めになったということ、そしてそれを神は今もしておられると言うことを読み取りましょう。
この話を文字通り、嵐を静めたイエス様のふしぎな力が記されている、と読むだけだったら、これは驚くべき物語ではあるけれども、それで終わってしまいます。けれども、ここに書かれていることを身近に引き寄せて読んでみるともっと大切なことを読み取ることができるのではないでしょうか。
ここでは、弟子たちがイエス様を起こして、イエス様が自分たちと一緒にいてくださると意識したときに嵐は静まりました。たとえ嵐が吹きすさんでいてもイエス様と一緒の旅だったら弟子たちは恐れがなく、平安が彼らをみたしました。
そして、このことはわたしたちにも起こりうることなのです。わたしたちが悲しみの嵐にあったとき、イエス様はわたしたちに慰めを備えてくださいます。わたしたちが人生のいろいろな問題に出会ったとき、また不安がわたしたちを襲ったとき、イエス様は行くべき道を教え、平安をくださいます。そのような信仰を持ち続けましょう。