2017年3月26日 塩山宗満
エフェソの信徒への手紙 5章1-5節 (新約 357ページ)
神に倣う者、とはどんな人のことを言っているのでしょう。倣う、という言葉はもともとまねをする、と言う意味がありますからキリストに倣う、とか神に倣う者となる、と言うことはイエス様や神をまねして生きていきなさいと言っているのでしょう。でも、この言葉の前にわたしたちは当惑します。わたしたち人間は罪深いので、そのような敬虔な生き方や、神に倣う者となることはとうてい不可能です。でもその前の言葉、「あなたがたは神に愛されている子供ですから」にここを理解するヒントがあります。
神がわたしたちを愛してくださっているのは、御子イエスをこの世に送ってくださったことで明らかになりました。
イエス様はわたしたちの罪が赦され、神から愛されるようになるためにご自身をいけにえとして献げられました。そのキリストの愛を知って、その愛によって生かされて生きなさい、と今日の聖書は主張します。わたしたちは神に救われ、神に愛されている者ですから、それにふさわしい人間になり、「愛によって歩みなさい」とパウロは語ります。
イエス様の死と復活、そしてわたしたちの受けたバプテスマのゆえに、わたしたちは「神に愛されている子ども」なのです。ですから、この手紙でわたしたちは「神の子どもが集まっている、家族」にふさわしい信仰生活がどのようなものかを教えられます。その目的は、「神の子どもたち」の群れから誰もはぐれてしまわないようにすることです。そして、そのように教会が一つの目的に向かって歩んでいると、その周りの人たちがこの教会を信頼して、加わってこられるのです。