2017年4月9日 塩山宗満
マタイによる福音書 27章45-54節 (新約 58ページ)
イエス様は前日夜、死刑の判決を受け、十字架を担いでゴルゴタの丘へ引かれていき、十字架上で苦しまれてもずっと、一言も言葉を発しておられません。さんざん侮辱のことばをかけられても、自分について説明をしたり、弁解をしたりはされず、黙っておられました。この間、イエス様はずっと父なる神のことを思い、弟子たちや人々のことを思い、苦闘しつつ祈り続けておられたのではないでしょうか。
イエス様はこの時に全人類の罪がのしかかってきたのでその重さに耐えかねてこう叫ばれたのだ、とも言われます。コリント二5:21にこう記されています。「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。(5:21)」主イエスがわたしたちの罪ゆえに受けられた罰として、イエス様は神から離れざるを得ないという苦しみを味わい、それに耐えかねて「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたのです。
主イエスの苦しみは、主が神の怒りのすべてを引き受けてくださったことによって生じたのですが、このイエス様の叫びによって聖書は「あなたたちは見捨てられていない」と宣言しているのです。
イエス様はご自分の生涯を通してわたしたちと神との間をつないでくださいました。わたしはこのイエス様を信じて、従っていきたいと心から願います。皆さんもこのイエス様を信じて人生を歩んでいかれることをお勧めします。ご一緒に与えられた人生をキリスト者として歩んでいこうではありませんか。