2017年4月30日 塩山宗満
マタイによる福音書 5章7-12節 (新約 6ページ)
「憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。」 憐れみ深い人々とは、自分を真剣に相手の立場において、相手と同じ気持ちでものを見たり、感じたりすることを言っています。相手が経験していることを自分も同じように経験する、という意味なのです。
憐れみ深い人々、心の清い人々、平和を実現する人々、義のために迫害される人々、それに、3節からの心の貧しい人々、悲しむ人々、柔和な人々、義に飢え渇く人々、と読み返してみると、なんだかこれは何とかなるけれども、こんなことは出来ないな、といろいろ自分を試してみることになるかもしれません。でも、ここでイエス様は、あなたはこの中のどこかに当てはまるのなら幸いですよ、と言っておられるのではないのです。ここは、主イエスを信じるものはこういう姿をとるはずだ、と一人の人のさまざまな姿を描いているのです。
そうすると、私はそんな立派な人間にはなれない、このみ言葉にはふさわしくありません、主よ、助けてください、と叫ばざるを得ません。でも、その時にこのことが可能になるのです。憐れみ深いことの本当の意味、相手の立場になって物事を考えることなど、普通は出来ませんが、イエス様の十字架と復活を通して愛を知らされると、それが可能になるのです。そのような集まりをこの教会で作り上げていくことが出来るのだ、とイエス様は言っておられます。間違いをたくさんしてしまう私たちですが、それでも赦しあってこの茂原バプテスト教会という交わりを作り上げていきましょう。それが出来るのです、主イエスを信じて歩めば。