2018年1月14日 塩山宗満
テモテへの手紙二 3章14-17節 (新約 394ページ)
聖書は「人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。(3:16)」
聖書を読むとき、どのようなことを考えて読んでいけば良いのでしょうか。一つは、聖書は様々な時代を通して神が人間に啓示されたことを記したものですから読む場合には、書いた人とそれを読む人の状況を頭に置いて書いたのかを理解した上で、今の私たちにどのような意味を持つのかを考えていくことが求められます。また、断片的に読むのではなく、全体の流れ・かたまりとして読むことがよいでしょう。
皆さんが、聖書を読んで「ああ、よく理解できた」、と思ったところと時を思い起こしてみてください。それは、読んですぐに納得したのでしょうか。それともすぐには理解できず、ずっと心に残っていて、ある時にふと「分かった」と言うこともあったのではないでしょうか。聖書は時にわたしたちが、読みにくい、わかりにくい、と思うところに真理が隠されていて、後になって理解でき、わたしたちを動かすることも多いのです。
この聖書の言葉を読み、理解するときにも聖霊がわたしたちに迫ってくるのです。聖書は聖霊の働きを通してイエスという方がどんな方か、何のためにこの世に来られたかを教えてくれます。どんな時にも聖書を傍らに置いて、開くよう努めてみましょう。「というのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。(ヘブライ4:12)」聖書の言葉はわたしたちをしっかり見据えて、正しい方へ導いてくれるのです。