2018年5月27日 塩山宗満
マタイによる福音書 18章18-20節 (新約 35ページ)
「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。(18:20)」教会はいろいろな人たちが色々な形で、神への奉仕をする場、一見その方向ややり方は違うように見える時があっても、一つになるような響き合いが作り出されます。私たちが二人、三人で心を一つにして神に願うところには、主イエスが真中にいてくださるのです。その時に、神はイエス様を通して私たちの願いを聞いてくださいます。「教会は人によって成ったものでなく、神によって成ったものと信じます」という教会の約束の言葉は、このように聖書の言葉と繋がっています。
さらに「主の日の礼拝、そのほか教会の諸集会につとめて出席し、教会の交わりのきよくなること、栄えることを祈ります。」とあります。主日礼拝を第一にして守っていくということをキリスト教会では初代の教会からずっと続けてきました。キリスト者になる、ということは見えない教会と地上の見える教会に加わること、そして加わる以上は、この主の日の礼拝や諸集会に務めて出席することを約束しているのです。
さらに「私たちは、バプテスマと主の晩餐の二つの礼典、また聖書の教えと、教会の定めた秩序を守ります。」とあります。この礼典にあずかることは喜びです。どうぞ皆さんも来週は主の晩餐式を楽しみにご出席ください。さらに、バプテスマは天と地の両方で喜びの声をあげています。私たちの教会でも、毎年、一人か二人のバプテスマが与えられていることを嬉しく思います。今年度もバプテスマを受ける人が与えられるよう祈りましょう。