2018年7月22日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 4章1-15節 (新約168ページ)
「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(4:13-14)」。イエス様が与えてくださる賜物は私たちの心のうちと生活の中に植え付けられ、その人のうちに泉となって潤いを与え、永遠の命に至る水が湧き出るのです。「渇く」という言葉は大切です。本人にとって渇いているときは、苦しみの時でしょうが、渇いているときは求めているときでもあります。そこへ恵みが注ぎ込まれる余地があります。渇いていない多くの人に福音を持っていっても「間に合っています」といわれます。
「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。(4:15)」水を汲みに来ることは、特に真昼に来なければならなかったこの女性にとっては大変な仕事だったのでしょう。この後を読むと、イエス様はこの人の心の内にある渇きに気がつき、また彼女の状況を見抜きました。結局この女性は、話している相手がキリストと呼ばれるメシアであることを知り、このメシアを信じ、従うようになるのです。
生きた水とはバプテスマの水といっても良いでしょう。この女性のように初めは分からなくてもイエス様に出会いその意味を知らされて喜びを持ってイエス様を受け入れ、バプテスマを受けるとその人の内に「生きた水」が流れ始めるのです。この茂原の町にも渇いている人がたくさん居るのではないでしょうか。その人たちにみ言葉を届けるのがここに建てられている教会に神様から依託された務めなのです。