2018年9月2日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 7章1-9節 (新約177ページ)
イエス様は「わたしの時はまだ来ていない。」と言われました。イエス様が言われた「時」はカイロスという言葉が使われています。新約聖書には時間を表す言葉がカイロスとクロノスという二つがあります。クロノスは普通私たちが使う、過去、現在、未来と順番に流れる時間のことで、それに対してカイロスは、この日常の刻々と過ぎてゆく時の中に、神によって打ち込まれた特別の時、時間の裂け目ということもできます。イエス様は、ご自分にはこの決定的な時はまだ来ていない、十字架と復活の時はまだだと言っておられるのです。
そして、この決定的な時、というのは、今の私たちにもあるのです。 神は私たちを愛してくださって、いつもご自分の所に来るように招いておられるのですが、私たちが神を信じて、受け入れる時というのはそんなにいつもではないでしょう。ある意味では私たちの人生の特定の、ある期間に神を信じるか、信じないかという迫りがやってきます。神の迫りを受けて、信じるか、信じないのか決めなさい、と決断を求められる時が来るのです。
こうして共に礼拝をすることができる恵みを、神に与えられている時として喜びを分かち合いたいと心から願います。神を共に礼拝するのも神の時に生きる、その時なのです。また、神に従うという決心が与えられるタイミングは決してずっと続いているのではなく、ある時に、ぱっと窓が開くように、与えられるのです。その一瞬一瞬を大切に生きていきましょう。まだ、「主イエスを救い主と信じる」決心がつかない方には神がそのように導いてくださることを心からお祈りします。