2019年2月3日 塩山宗満
ガラテヤの信徒への手紙 2章1-14節 (新約 343ページ)
「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。(2:16)」
この節はパウロがこの手紙で語りたいことを表した、中心的な聖句です。この節の最後の所は詩編143編2節を引用していて、旧約の神学でも、行いでは神の前に正しい者など一人もいないという言葉があり、パウロは自分の主張は聖書に根拠があるのだと主張しています。
人はたとえどんなに立派な行いをしても自分勝手な、神に逆らう罪を自分の中に持っているので、律法に示された神の御心を行うことはできないのです。たとえ律法をまじめに受け止め、それを守ろうとしている人たちでも神の目から見て正しいものとして受け入れられることは不可能だとパウロは語ります。
けれども神はキリストにあって、まったく新しい道を開いてくださったのです。自分の行いに頼むのではなく、ただただキリストを信頼し続ける人を神は正しいものとして受け入れてくださるのです。パウロはその「イエス・キリストへの信仰」に全生涯をかけたのです。
わたしたちもこのイエス・キリストへの信仰を大切にし、神の恵みを無にしないような生き方を求めていきましょう。今日は午後から新年度を考える会で、執事をどのように選出するか、来年度をどのような方向で活動していくかを考えます。この時が良いときになるよう祈りましょう。