2019年4月21日 塩山宗満
イザヤ書 54章7-8節 (旧約 1151ページ)
この「深い憐れみをもってわたしはあなたを引き寄せる。」と言う言葉と「とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむと」との宣言はイースターの意味をよく表しています。
神はこの復活の日にご自分の愛する御子イエスを憐れみ、御子イエスに栄誉を与え、そして御子を私たちの主として、そして全ての人間の救いの主として立てるということをされました。そのことによって神は全ての人間を支配している「死」や、怖れや、絶望から解放されました。神は御子を憐れみ、不誠実で頑ななイスラエルの民を憐れみ、道に迷い混乱している全人類を憐れみ、さらに私たちをも憐れんでくださいました。これが神が復活の日になされたことなのです。
イスラエルの民は歴史の中で神に見捨てられた時がありました。わたしたち一人一人にも神から見捨てられたとしか思えないときがあったし、今もあるかもしれません。誰もがそのような不安な時を持っているでしょう。でも、それはわたしたちが思い違いをしているのです。神が見捨てられたのはあの金曜日の短い間、主イエスが経験されたことでしかありません。たとえわたしたちが神から見捨てられたと感じるときがあっても、神はわたしたちを見捨てられません。あの金曜日のあとに、喜ばしい日曜日が来たのです。
私たちも時として絶望と恐怖の淵に落とされることがあります。そのような時に、死を打ち破ってよみがえられた主を仰ぎ見ると、私たちには希望が与えられます。イエス様が残して行かれた、死に打ち勝った甦りのメッセージを聖書から読み取ることができるのです。