2019年4月14日 塩山宗満
詩編 23編1-6節 (旧約 854ページ)
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。(23:1)」
この詩篇23編を書いた詩人は、私は弱い羊だけれども、主なる神が羊飼いだから全幅の信頼を置いて従っていけると語ります。神はいつもイスラエルの民をご自分の民として愛しておられるのですが、ここではこの詩人は主が私の神でもある、と宣言しているようです。羊飼いの毎日は楽なときだけではないようです。獣が襲ってきます。強盗が羊を狙うこともあったようで、自分では防ぐ手立てを持っていない羊は羊飼いに従っている限り安心して生きていけるのです。同じように主に信頼して人生を歩んでいけば、様々な苦難が襲ってきても主が守ってくださるので安心して生きていける、とこの詩人は最初に宣言します。
この詩編は次のようなことを語っているのです。「主なる神は荒れ果てた世を、青草の原に変えることがおできになります。道に迷った羊たちのように世界中をさまよい歩く人々は、神によって良い羊飼いの囲いのもとに集められるということを知っています。そしてこの世で闇の勢力にただただ晒されていると感じている人たちは、その力と杖とによってあらゆる敵から守ることのできる力強い羊飼いによって守られていること、神によって守られているということを実感しているのです。」
詩人は最後にこう締めくくります。「命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう。」わたしたちも安心してこの羊飼いである、イエス・キリストにより頼んで、主の家に帰り、生涯そこに留まる、と言う人生を歩んでいこうではありませんか。