2019年6月30日 塩山宗満
ルカによる福音書 6章1-11節
イエス様の弟子たちは律法から自由になっていたので、弟子たちはおなかがすいていたのでしょう、麦の穂をつんで食べていました。それを「なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか」と見咎めたファリサイ派の人に対して、イエス様は「あなたたちは安息日の本当の意味を取り違えている。安息日は人のために定められたのだから、もっと自由に安息日を用いなさい、と言われます。ファリサイ派の人はこの安息日の戒めが何のために与えられたかは考えず、細かく決めた律法を守ることだけを強調したので、イエス様はそれに対して、安息日を人間に対しめぐみとして贈るのだと言われます。
安息日はもともと金曜日の夕方から土曜日の日没まででした。キリスト教は誕生してしばらくしてから礼拝をささげる日を週の最初の日、日曜日にしました。それは、主イエスが十字架にかけられ3日目に復活されたことを記念して、日曜日を主の日、礼拝を守る日としたのです。ですから、礼拝は復活して今ここに生きておられるイエス・キリストを喜び祝うことなのです。主の日に集まることは初期の教会では大変な戦いでした。今でも、私たちにとって日曜日に礼拝を守るということは簡単なことではありません。様々な不都合が生じるときがあります。それでも、私たちは2000年の教会の歴史や伝統を通して獲得してきたこの礼拝の喜びをぜひ守っていきたいものです。私たちはこのように日曜日の朝、こうして集まって礼拝をしています。どうぞこの教会での主の日の礼拝を大事にし、みんなで集ってみ言葉を聞き、賛美をし、祈りを献げることから一週間をはじめましょう。