2019年8月18日 塩山宗満
ルカによる福音書 8章4-15節 (新約118ページ)
「イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた。」ここは単に聞いてください、というよりも、よく聞いて、納得して、そのように生きなさい!という意味を含んでいます。それも努力して、というより、みんなは理解できる耳を賜物として与えられているのだから、良く聞きなさい、と言われているのです。
ちょっと見方を変えた読み方をしてみましょう。そもそもこの例えは「種をまく人のたとえ」であって「違った種類の土地の例え」ではないのです。この例えが一人の種をまく人、それもただ気前よく種をばらまく人についての話であるとしたらどうでしょう。
蒔いている土地の違いなどに心を騒がせることもなく、見境なくあらゆる所に種を撒き散らし無駄遣いとでも言えるほど心ゆくまで蒔き続ける人。鳥には食べさせてやり、石ころを見つけたらそれを蹴飛ばすだけ、いばらの茂みでは自分の足の踏み場を探しながらゆっくりと歩き、そして良い土地に立つと「ハレルヤ」と叫びながらただ種を撒き続ける人。全てに行き渡るだけの十分な種があってやがて収穫の時が来ると近所中のすべての納屋が必ず屋根いっぱいまで作物で
あふれることを知っている。そんな人についての話ではないのでしょうか。そう、この種を蒔く人とはイエス様のことなのです。
この話の焦点は私たちの足りない部分のことではなく私たちを作られた神の寛大さ、太っ腹なイエス様のことなのです 。福音はいつでもどこにでも蒔かれなければいけない、それも土地も時も考えずに、蒔き続けよう、そんなことをこの話は語っているのではないでしょうか。